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コラム 死と生の文化史<パンデミック編> presented by 雅倶楽部 2021年4月1日掲載

【勘違い】医学者『こ、これは…未知の細菌による伝染病だ』→実は…(後編)

病院で出される白米の残飯だけをエサに育てられているニワトリが脚気と同じ症状に。それに気づいた調査委員エイクマンだったが、コッホ調査団のメンバーから外されてしまう。本稿では、前編に続き「脚気細菌説」のその後についてお伝えしていきます。

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日露戦争後、事態は動きだしました。

細菌による伝染病が脚気という説を日本に広めたのはベルツ博士なのですが、さらにその師にあたる細菌学の祖であるドイツのロベルト・コッホ博士が、実地調査に乗り出したのです。

とはいえ、大御所のコッホ本人が出てくるわけではなく、彼の命で作られたチームが派遣されることになっただけなのですが、それでもインドネシアでの実地調査がコッホの指示の下、行われることになりました。

歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹

コッホの指示…

この時点でも、コッホはあくまで脚気は伝染病であり、細菌が原因であると考えてはいましたが……。

脚気の原因に気づいたばかりに…

インドネシアは国民の大半がイスラム教徒の国です。ビタミンB1が豊富に含まれる豚を食べず、白米を主に食べたがるという食文化の国で、白米至上主義の当時の日本と近いものがあったのですね。

こうして調査委員会が組まれ、インドネシアに派遣されたクリスティアン・エイクマンという陸軍軍医は、衝撃的なものを見てしまいます。

病院で出される白米の残飯だけをエサに育てられているニワトリが、まるで脚気をわずらっている患者のように、よろめきながら歩いているのです。

ニュートンのリンゴならぬ、ニワトリのよろめき……。

このニワトリがどうなったかは知りませんが、脚気患者のご飯を玄米食に切り替えさせたところ、脚気はキレイに治ってしまいました。こうしてエイクマンは脚気の原因が細菌などではなく、栄養の偏りだったと気づいてしまい、コッホの調査団のメンバーから外されてしまっています。

オリザニンの発見で脚気治療に光明

また同じ頃、日本でも東京帝大・農科大学(現在の東大農学部)の鈴木梅太郎教授が、白米しか与えられていないハトの足元がやはりフラついていたことから、米ぬかの中に含まれる物質(鈴木は「オリザニン」と命名)に脚気を予防する役割があるという研究結果を発表。

これが後に(残念ながら鈴木以外の外国人研究者の手によって)ビタミンと命名される栄養素の一つとなるわけですが、その時も東京帝大・医学部の重鎮たちは「ヒトと鳥は違うよ~」とバカにして笑っているだけでした。

結局、京都帝大や(東京帝大に居場所のなくなった北里柴三郎が移籍していた)慶應義塾大の医学部が地道な臨床研究を続け、オリザニンことビタミンB1に脚気を防ぎ、脚気の患者を治癒させる効果があるという真実を立証します。こうして東京帝大・医学部も「あやまり」を認めざるをえなくなったのでした。

ここまでお話して、誰もが思い出さずにはいられなかっただろうことは、2020年の新型コロナ感染症の流行時の専門家たちの姿です。医者を名乗りながら、真実を見ようとしていないのではないかと思われる自称「専門家」の御仁がたくさんいらっしゃいましたからね。

2020年8月12日の毎日新聞朝刊には「シリーズ 疫病と人間」という特別コラムが掲載されており、「ダイアモンド・プリンセス号」に乗り込んだ岩田健太郎神戸大教授のコメントに興味深いものがありました。

「政治、省庁、病院などの組織で現場を知らないリーダーが短絡的な議論を声高に主張することが増え、異論や反論する人を排除、声高に主張する」「正しかろうが間違っていようが『もう決めたことだから』と突っ走る」……そういう「同調圧力」の恐ろしさについて岩田教授は語っています。

明治時代も変わらぬ「忖度」事情

これ、明治時代の医局の内実もまるで「同じ」なんですね。

「脚気の原因は脚気菌」という「師」緒方の説を論文で批判した「弟子」北里柴三郎に、本来ならば「外野」であるにもかかわらず、陸軍医局のおえらいさんというそれなりの身分の森林太郎(森鴎外)が激怒、北里を「この恩知らず」と罵っているわけです。

森の文章から危うい部分を抜粋すると;

「先輩たる緒方博士に対して憚(はばか)るさまもなく(北里博士が)おのが意見を述べしを恩少なし」

「職(=真実を探求しようという医学博士の仕事)を重んぜんとする余りに果ては情を忘れしのみ」

先輩の学説が間違えていたところで、それを露骨に指摘するのは忘恩の輩の行為だと森は非難しているのですが、批判の矛先がまちがっています。
医学博士が重視すべきは、先輩の体面よりも真実の探求であり、脚気で苦しむ患者を救うことではないか、と思われるのですが……。
そもそも森は脚気細菌説の支持者なだけで、脚気研究の専門家ではありません。なのに、医局というタテ社会の秩序を乱す異分子・北里柴三郎に激怒、事情を特によく知るわけでもないのに権威をまとい、専門家ヅラでわざわざ論争の場へ「降臨」、感情的に攻撃して見せるという、歴史に残るパワハラの醜態をさらしてしまったのでした。

文学者としてなら「面白い」で済みますが、医者としては森の姿勢はアウトです。
明治時代と現代、そして議論のテーマとなる病は異なっていても、それをとりまく「専門家」たちのあり方にさほど違いがあるとは思えないところは、本当に恐ろしいというしかありませんね。

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