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コラム 死と生の文化史<パンデミック編> presented by 雅倶楽部 2021年3月1日掲載

【勘違い】医学者『こ、これは…未知の細菌による伝染病だ』→実は…(前編)

かつては猛威を振るいながらも、いつの間にか「鳴りを潜めた」病というものが、歴史の中にはたくさんあります。
脚気(かっけ)もその1つでしょう。
今回は、『未知の細菌による伝染病』として大騒ぎになったこの病について迫ってみたいと思います。

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かつては猛威を振るいながらも、いつの間にか「鳴りを潜めた」病というものが、歴史の中にはたくさんあります。

脚気(かっけ)などはその一つではないでしょうか。足元がしびれたり、むくんで痛み、歩行がふらつく病気で、原因はビタミンB1の不足です。

各国の食文化はその国の歴史そのものなのですが、その食文化ではどうしてもビタミンB1が不足する場合に「のみ」、脚気という病が蔓延するのですね。

しかし、明治時代の日本では、脚気は未知の細菌による伝染病として扱われていました。というか、それが旧帝大のトップ、東京帝国大学医学部の公式見解だったのです。

集団で、同じ症状を呈する病が現れた時、その原因をなんでもかんでも細菌のせいにしてしまう……そんな「医学の本場」ドイツ生まれの「細菌学」を盲信する風潮が20世紀初頭の日本にはあったのですね。

イギリス医学VSドイツ医学

一方、イギリスで医学を学んだ高木兼寛(たかぎかねひろ)は、「細菌学」の制約からは自由で、新しい発想を持ち得ていました。

英国海軍の水兵たちに脚気がほとんど見られないことから、西洋風の食事こそ、脚気防止の有効策ではないかという仮説を打ち出します。

しかし、当時の日本はイギリス医学よりも、脚気細菌原因説を主張するドイツ医学への支持が高く、高木への注目度も低いものでした。

高木はツテを頼り、慢性的な脚気の症状に苦しんでいた明治天皇の食事を西洋風に改めてもらうことで、脚気を治療することに成功するなど実績を積みます。

高木らの提案を受け、明治18年(1885)ごろから、日本海軍の食事も麦飯となった結果、脚気の患者数はほぼゼロにまでなりました。

しかし、です。「兵隊になれば白いご飯が腹いっぱい食べられる」ことを、入隊する魅力のひとつとして打ち出していた日本陸軍は、東京帝大医学部と結託、白米がわりに麦飯を出すことを嫌いました。

また、ドイツの医学こそが一流だと信じる東京帝大医学部の重鎮たちも、高木らの西洋食推しや麦飯推しのスタンスに真っ向から不快感をあらわにしました。

エルヴィン・フォン・ベルツ

東京帝大医学部の重鎮たちの師は、ドイツから派遣されたエルヴィン・フォン・ベルツという「お雇い外国人」です。ベルツは特殊な細菌が、脚気を引き起こしているとの説を唱えていました。「偉い」ベルツ先生に逆らわないことは、タテ社会である医局でうまく生き抜くための処世術ではありました。

脚気菌ついに見つかる?!

北里柴三郎

明治18年(1885年)4月、東京帝大・衛生学教室教授の緒方正規が、「脚気菌」を発見したと発表すると、これは細菌学派にとっては嬉しいニュースになりました。糠喜びのフェイクニュースでしたが……。

しかし、この緒方の「脚気菌」に対して、その菌は脚気とは無関係であるとの論文を発表したのが、勇気ある北里柴三郎だったのです。

北里は帝大医学部に入学後、細菌学の本場ドイツに留学。細菌学の権威・コッホ博士から直接学んで帰国したエリートです。しかし、北里にとって緒方は日本での師にあたる人物で、北里の下剋上的な主張は、保守的な医学界に大混乱を起こしてしまったのです。

北里にとっては大先輩にあたる東京帝大出身で、陸軍の医学部の森林太郎(ペンネームが森鴎外)なども北里柴三郎を批判する文章を発表し、多いに北里を叩きました。

海軍は麦飯になったのに、森が医学関係の重職を勤める陸軍では相変わらず米の飯が、ほぼ副菜もないままで提供されつづけ、大量の脚気患者を生み出してしまいました。

日露戦争戦…戦死者の死因の約50%が脚気だった?!

こうして悲惨になことになったのが日清・日露の両戦争です。いずれも勝利は収めましたが、日清戦争時の脚気患者は3万人。そのうち1860人が亡くなりました。

戦死者は977人、戦傷者は3699人(うち死亡者293人)なのですから、戦闘よりも脚気で亡くなる人のほうが多かったという惨状でした。ドイツ医学の理論というか仮説を重視、実地研究をムシしたあげく「脚気は伝染病である」という陸軍医局の掲げつづけた誤った指針が、多くの人々の命を脚気で奪っていったのです。

日露戦争時の脚気患者はなんと25万人にも達し、脚気による死者はそのうち2万7000人。ちなみに戦死者は約4万6000人……。

脚気という病の存在は、ビタミンB1を食事で日常的に摂れている国にはほとんど知られていません。ですから、脚気の症状でふらつきながら戦っている日本兵の姿はまるで「酒に酔って戦争している」ようにさえ見えました。

しかも筆者が調べた限り、細菌学派は脚気を伝染病といいながらも、陸軍で亡くなった脚気患者を(感染症対応のために)特別に厳重な扱いで埋葬させるように指示した…という情報が出てこないのですね……。
すべての悩みや生きづらさを、「最先端の脳科学」を持ち出し、それですべて説明したがる現在流行のアレを思い出してしまいました。

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