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コラム 堀江宏樹の「世界のお葬式」 presented by 雅倶楽部 2023年3月1日掲載

「住めるお墓」ってどういうこと?!墓の概念が覆るエジプトの「葬儀」と「死者の街」

エジプトでは、死者の魂と暮らすために「家付きの墓地」が存在します。地下は墓地、地上は家となっており、墓守と死者の家族が生活できるようになっているのだとか。そんなお墓が集まった「死者の街」を起点に、エジプトの葬儀について触れたいと思います。

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今からおよそ5000年前に、その文明の歴史がスタートした古代エジプト。古代四大文明のひとつに数えられるエジプト文明は、紀元前30年にローマ帝国に滅亡させられるまでの約3000年間、文明の本質をほとんど変えることなく栄えつづけました。

歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹

ちなみに古代エジプトの王朝の総数は32だと考えられていますが、それは紀元前3世紀の神官・歴史家だったマネトという人物による研究をベースとしています。

エジプトは暑い国なので、誰かが亡くなると、埋葬がとにかく急がれます。しかし、現在のエジプトでは当然ながら、ミイラ作りやそれに類する行為はもはや行われてはいません。

エジプトは7世紀のうちにイスラム化し、現在でも国民の約94%がイスラム教徒で、多くの場合はスラムの教義に則って葬儀が行われているからです。

イスラム世界では、衛生上の観点から、亡くなってから24時間以内に故人を埋葬しなくてはならないという厳しいルールがあり、葬儀の時間は短めです。亡くなった方の遺体は自宅で湯灌され、香油で清められた後、白や緑の布で巻かれた後にお棺に収められます。お金持ちの家ではこの時の布にも絹やカシミアが使われるのだそうです。

最初、お棺はモスクに運びこまれ、葬儀が終わると、今度は共同墓地を目指して出棺し、そこでは男女別に埋葬されるのでした。お墓まで男女別というのは、性愛倫理に厳しいイスラム世界特有の現象かもしれませんね。

20世紀以前もスピード葬儀、スピード埋葬が行われていたのですが、その反動でしょうか、裕福な階級の人々を中心に、死者たちの魂と共に暮らす文化がありました。これが精神的な話ではなく、先祖の葬られている墓所に泊りがけで出かけていって、本当に当地に滞在するというと、驚いてしまうかもしれません。

祖先の魂とともに…ムカッタムの丘の下に広がる「死者の街」

実際、イスラム教の特別な休日を、祖先の魂とともに過ごす習慣が20世紀になってもエジプトの裕福な階級では維持されており、その舞台となったのがいわゆる「死者の街」でした。

カイロ旧市街から幹線道路をひとつ隔てた東側、ムカッタムの丘の下に広がる長さ1.5キロ、幅1キロほどのエリアが「死者の街」と呼ばれるゾーンです。

当地には平屋、2階建て、3階建て、なかには5階建ての住居や寺院と見紛うような巨大な墓がひしめくように建てられており、その多くに丸いドーム型の屋根がつけられています。

死者の街の歴史はエジプトがイスラム教化した7世紀にはじまり、中世ごろに活発化しはじめました。街には中世エジプトを支配していたマムルーク朝時代の建物もありますが、19世紀後半〜20世紀初頭にかけて作られた、比較的新しい建物もあります。

これらの建物の地下に、建物を作らせた一族の死者たちが眠っており、彼らの墓所に続く階段の扉はふだんは土をかけて封鎖されています。また、同じ一族とはいえ、やはり男女別に、きちんと分かれて埋葬されているのが特色といえるでしょう。

しかし、建物の地上部には、生きた人が滞在できるような居間、寝室、台所、それとは別に墓守が暮らすスペースを備えた空間が広がっているのは驚きというしかありません。

また、20世紀中には一部の建物に電気、ガス、水道が通されました。もともと富裕層が建築させた「家」ですから、多少古いとはいえ、現在でも普通に人が住めるほど状態のよい建物が多いそうです。生きた人間が最低限の生活が営めるほどに整備された、これら「死者の家」は、日本人の考える墓の概念を覆した代物だといえるでしょう。

ナポレオンは「王の部屋」で本当に一晩過ごしたのか?!

これとよく似た話を思い出してしまったのですが、あのナポレオンにもクフ王のピラミッド内の「王の部屋」において一晩を過ごしたという逸話があります。

ピーター・トムプキンス(Peter Tompkins)の著書、邦題『失われた王墓 : 大ピラミッドの謎に挑む』内にも記述があり、日本語版を担当したのが古代エジプト研究の権威・吉村作治さんだったということも手伝って、日本の一部では実話として超有名になってしまいました(吉村さんもタイトルで引き受けてみたので途中で断るわけにはいかず、内容に首をかしげながら、なんとか翻訳を終えたのであろうと思われますが)。

この伝承によると、一晩をピラミッドで過ごしたナポレオンは青ざめて部屋から出てきたそうですが、部屋で何が起きたかについては、なかなか語ろうとはしませんでした。それはピラミッドのスピリチュアルパワーによって、自分の非業の未来を知ってしまったからなどと語られているわけですが、これは実は根拠が薄い話です。

例の本の著者・ピーター・トムプキンスは歴史家ではなく、他の著書では植物の意思について語っていたりする「ニューエイジ」のスピリチュアリストの書き手です。

以下は筆者の推測ですが、トムプキンスはある時、エジプトの死者の街の話を聞いて、エジプト滞在時代のナポレオンなら……と想像の翼を広げてしまい、それを現実に起きた話としてつい書いてしまったのが、現在でも世界中に誤解を生んでいる結果となってしまったのでしょう。

「死者の街」がスラム化?!

さて……死者の街に話を戻しましょう。かつては死者の街の家々には、「死者の家」=墓の所有者たちから雇われた墓守とその家族が住んでいるだけでしたが、1970年代以降は所有者たちの了解を得て、もしくは無断でカイロ市内から流れてきた貧しい人々が暮らしている姿が目立つようになりました。

現在、カイロの人口は2000万人を突破しましたが、家賃や生活費が高騰し、貧困層を中心に約2万人が死者の街に流入、当地で暮らしているそうです。現在の街には彼らの仕事の拠点の工房や商店、そして学校さえも存在します。

しかし、死者の街が、生者によってスラム化している現象が大問題になってはいないのは、不思議に思われるかもしれません。

お金持ちは貧者にやさしくするというイスラム教の伝統にのっとり、自分たちの先祖の「死者の家」に縁のゆかりもない貧者が住んでいても怒ったりはしないのだとか……。

最近の事件としては、死者の街のそばを高速道路が通ることになり、2020年以降、「死者の家」のいくつかが当局の判断によって取り壊されはじめたことが国内外からの多くの批判を浴びました。「建造年代が古いものは残す」という声明をエジプト政府は出していますが、果たしてどうなることやら……。

このように古代エジプトから引き継いだような、華麗な埋葬文化の残り香のあるカイロに比べると、地方では遺体を土葬した上に丸い石などを置くだけというシンプルなお墓が目立つそうです。

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