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コラム 堀江宏樹の「世界のお葬式」 presented by 雅倶楽部 2022年2月1日掲載

【インドの葬儀】夫を荼毘に付す炎に未亡人投身…インドヒンズー教の恐るべき風習「サティー」とは?!

ヒンズー教徒にとって葬儀は非常に重要視される、生涯随一の宗教的イベントです。というのも、肉体から魂を開放し、故人の魂を輪廻転生の渦の中に還す行為が火葬であると考えられているからです。本稿では、インドの人口の約80%を占めるヒンズー教徒の葬儀について迫ってみたいと思います。

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2015年時点でインドの人口は12億人あまり。ヒンズー教徒が非常に多いとされているインドですが、「宗教国勢調査2011」の結果によると、調査が始まって以来、初の80%割れの79.8%という数字が出ました。

ここ20年ほどの間の調査では毎回1~2%ずつ、ヒンズー教徒が微減する一方、イスラム教徒が微増しているそうです。おそらくヒンズー教では生まれもった身分が低いと地獄のような人生が待っていますから、そういう人たちがイスラム教に改宗していくのであろうと思われます。

それでもインドにおけるヒンズー教の伝統は根強いので、今回もヒンズー教徒たちのお葬式を中心に語らせていただこうと思います。

火葬は肉体から魂を開放して輪廻転生するための儀式

ヒンズー教徒にとって葬儀は非常に重要視される、生涯随一の宗教的イベントです。
というのも、肉体から魂を開放し、故人の魂を輪廻転生の渦の中に還す行為が火葬であると考えられているからです。

火葬までの手続き自体はかなり簡略化されています。

家族に死亡者が出ると、遺族は医師の死亡診断書を手に地域の火葬場に出向きます。基本的に火葬は日中に行われるのが普通ですが、伝染病での死者などの場合は夜間でも行われます。貧者の火葬も夜間に行われがちだそうですが、ヒンズー教徒において遺体の火葬こそが葬儀のメインイベントとなる中、貧者は富裕層とは異なり、多くの私財を葬儀に投入することが難しいため、ひっそり目立たぬよう、夜のうちに……という考えかもしれません。

生活に余裕のある中流以上の家庭では、死期が近づいてきたと悟るとヒンズー教の僧侶であるバラモン僧を招いて、生前の罪滅ぼしの儀式を行い、まずは清められた身となります。

その人が亡くなると、近親者は家の外に出ていって号泣しながら、死神がいると信じられている南方に向かって祈りを捧げます。

その後、男性の遺体は白い布、女性は赤あるいは赤系統の布で包まれ、竹で作られた棺台に乗せて火葬場まで運ばれていくのです。

首都ニューデリー市や、ボンベイ市など大都市には電化式火葬場がある一方、基本的に多くの市町村では川辺や野原に屋根なし、野天の火葬場があり、そこで何百年も前と同じ流儀で遺体は荼毘に付されます。

親族一同の手でガンジス川もしくは、それに類する聖なる川の水が遺体の口に含ませられ、家族がマントラを唱える中、前身に聖水がふりかけられます。

次いで遺体は薪を積み上げた山の上に生花と共に安置され、バラモンの祝福を受けます。

山の周囲を遺族たちはグルリと5周し、親が亡くなったのであれば長男が、子供が亡くなったのであればその父親が……というように一定のルールに従い、その人の手で薪に火が付けられるのでした。白檀の木やバター油、ガソリンを途中で投入し、火力を強めるのも葬儀の一貫です。

未亡人が殉死することを最高の美徳とする恐ろしい習慣

こうして遺体が灰になると、それらを集め、近隣の「聖なる川」に流すのですが、高貴な人の遺灰はインドを代表する聖地のベナレスやアラハバードなどにわざわざ運んでいって、そこの川の中央で、流すことになります。

著名人の場合、故人の記念碑を作ってお墓がわりにすることはあっても、故人の遺灰を収めたお墓を作ることはありません。ヒンズー教では人間が死ねば肉体は滅びてよいものであり、その魂は後に人か他の何かに転生するのだから、お墓などは必要ないと教えているからです。

火葬が終わると、家族たちは服喪に入ります。死後10日目にして故人の魂は完全に天に上るとされ、それまでの毎日を儀式を行いながら過ごすのですが、その後も月命日がくるごとにバラモン僧を招いて祖霊祭を行い、それが一周忌になるまで続けられます。それが終わると、お弔いも完了だと考えるのだそうです。

これが現代のインドのヒンズー教徒の葬儀ですが、かつてのインドでは故人の遺体を荼毘に付す炎に身を投げ、未亡人が殉死することを最高の美徳とする恐ろしい習慣「サティー」がありました。もともと「貞節な妻」を指す単語だったサティーに違う意味が付け加えられたのは、主に近世になってから。

男尊女卑の保守的なとくに強いとされたラジャスタン州のマハラジャの一人で、ムガル王国のアクバル大帝の宮廷で将軍となっていたミルザ・ラジャ・マン・シン1世(在位1589-1614)の后のうち60人(!)が炎に身を投げ、殉死したとされます。

また、同じラジャスタン州のマハラジャ、ジャスワント・シン(在位1637-80)の妻たち8人も夫の死を悼み、その遺体を焼く炎の中に花嫁衣装で飛び込んだという記録がありますね。これらの悲惨な妻たちの逸話が、社会の様々な層で“妻の理想の姿”として持ち上げられ、17世紀以降に風習化されていったのがサティーの伝統です。殉死は強制とはいえなかったものの、夫を早死させた妻は不吉な存在としてコミュニティの中では扱われがちで、忌み煙たがられる一方、殉死すれば聖女のように崇め奉られたのです。

インド文化特有の「妻」の考え方

女性にとってはきわめて不条理でありながら、サティーの習慣はインド全土に広がります。しかし、1829年以降、各地で禁止されていくようになります。インドを植民地化していたイギリスが示した拒否感にインド側が押されてのことでしたが、なんと20世紀以降もしばしばサティーが行われていたことが知られています。

最近では2008年10月11日、チャッティスガル州在住の71歳の老女が夫を焼く炎の中に、自分を止める会葬者がいなくなったタイミングを見計らって飛び込んで亡くなるというニュースが世界を駆け巡りましたが、実際のところ、相当な数のサティーが表面化せず、影で行われている気はします。

現在でもインドでは「30歳の男性には12歳の少女妻がお似合いの結婚相手」とする、他文化では極端な年齢差だと思われる結婚が行われがちで、上流階級の男性の妻たちは全身を美しく飾り付け、まるで人形のように扱われてかなり年上の夫に仕え、そして夫のために死ぬことさえ当然の行為だと受け入れ、生きているように思われることがあります。

日本でもお棺を生花で満たし、荼毘に付す習慣がありますが、その花の中に妻の身も加えられるべきだとは考える人はいませんでした。しかし、それを当然とする文化もインドにはあったということです。時と時代が違えば、本当に違う人生が待ちかまえていたのだろうと恐ろしく思われてなりません。

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