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コラム 堀江宏樹の「世界のお葬式」 presented by 雅倶楽部 2022年8月1日掲載

”あの世”の沙汰もカネ次第?!中国のお葬式 (地方編)

先祖崇拝の観点から、中華人民共和国成立以前、つまり清朝時代の流儀を色濃く残した伝統的なお葬式が中国の地方ではいまだに行われています。
中央(都会)とは異なる中国の地方におけるお葬式について触れてみたいと思います。

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前回(『日本の葬儀にインスパイア?!激動する中国のお葬式 (都会編)』)は20世紀中盤に中国政府が断行した葬儀改革に影響され、第二次世界大戦以前とは大きく異なる姿に様変わりした中国都市部のお葬式について見てきました。

明治時代の日本で、宗教儀式としての葬儀を一部のインテリ層が否定し、無宗教式の葬儀である「告別式」が考案されたのですが、それを社会主義国家として中国政府が20世紀半ばに採用、国民の理想のお葬式と決めたこと。土葬ではなく火葬を基本としたこと。さらには故人の遺体の湯灌など、お清めの儀式が日本の葬儀会社から学び、中国のお葬式でも採用されるようになったあたりも興味深い話だったと思います。

中国は広大な国土を有する国家ですから、「都会」「地方」と一概に語ることはできないかもしれませんが、そういう中国都会のお葬式の流儀は今日、地方にも及びつつあるといわれています。
一方で、先祖崇拝の観点から、中華人民共和国成立以前、つまり清朝時代の流儀を色濃く残した伝統的なお葬式が中国の地方ではいまだに行われているという指摘もあります。

それは一体どんなお葬式なのでしょうか?

「カネ」に突き抜けた価値観

1990年代の中国の地方では、都市部とは少し事情がことなり、あくまで伝統的な死者の弔い方がいまだに息づいていました。これはその当時の記録なのですが、地方在住の家のケースとして読んでください。

故人の遺体の足を玄関口に向け、家の外の流水を使って遺体を清めることから葬儀は始まります。葬儀会社が地方では1990年代ではまだなく(少なくとも多くはなく)、家族や地域の人々の手ですべてが担当されることも稀ではありません。

故人の遺体を清める水を用意するにあたっては、流水に紙銭を燃やし、その灰を撒く。もしくは銅貨を入れることを行います。これを「買水」と呼びますが、これは日本でも一部の宗派がお棺に三途の川の船賃として小銭を入れる(=あるいは昔は入れていた)のと良く似ているようで、はるかにそれを突き抜けた価値観……中国における「この世」どころか、「あの世の沙汰も金次第」という価値観を反映しているのだと思われます。

「買水」の儀式を終えた流水で、遺体を清め、「沐浴」を終えると、清潔な衣服に遺族が着替えさせ、その身をお棺の中に移します。こだわりの棺を生前から用意している人もあるのだとか。お棺の蓋が赤く塗られたり、花模様が描かれているケースもよくありました。

お棺は、まずは家内の広間などに安置します。ここまでの行程が終了すると会葬者たちを呼ぶ段階に入ります。「お通夜」では死者の枕元で親族の女性(とりわけ高齢の女性)が嘆き悲しみ、ときに泣き女などが雇われ、親族たちが読経することもありました。豊かな家では僧侶に来てもらうようなこともあったでしょう。亡くなった翌朝にはお棺のフタは釘打ちされ、近所の人たちの手で担がれ、墓地まで葬列を組んで送り届けます。その途上、爆竹を慣らしながら進むのですが、会葬者たちはとくに喪服を身につけることもなく、普段の衣服(ときには人民服)に黒い喪章を付けて歩きます。

歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹

なお、これは庶民向けの比較的スピーディーな埋葬で、地方の裕福な家の場合、清朝時代からつづく先祖代々の霊堂が残されていたりしました。その場合、霊堂に遺体を3日安置し、その末に「大斂儀式」と呼ばれる納棺の儀式が行われました。さらに「点主」という故人の位牌を作る儀式、ついで「家祭」という故人を家の祖先に加え、祭祀を行う儀式も続きます。

その後、墓地にお棺が運ばれていき、埋葬されるのでした。墓地でお棺を深い土に一度に埋めてしまうのではなく、埋葬は2~3ヶ月かけて、少しずつ土を被せていく方式が取られることもありました。徐々に故人がこの世の人ではなくなっていく感覚ですね。墓地から帰ると、親類・関係者たちが宴で飲み食いしながら故人を偲んだそうです。

派手に騒ぎ・カネをばらまき・宴をひらくべし

さて、ここまでお読みになられた方は、地方の伝統的な葬列が爆竹を鳴らしながら、などの箇所にどのような感想を持たれたでしょうか。これは清朝末期までの中国の伝統的なお葬式の作法が、故人の霊を喜ばせる名目でド派手に騒ぎながら行うべき儀式だった名残といえます。

また、墓地から戻った後に飲み食いを行う習わしは、日本でいえば火葬場から戻った後、料亭などで食事を摂るような習慣を思わせる部分がありますね。

しかし、伝統的な中国のお葬式では、この宴の部分こそが、葬儀でもっとも重要視される部分でした。清朝時代から富裕層の役人や商人たちは、葬式の場に京劇芝居の一座を招き、宴も開いて、大盤振る舞いの大騒ぎをしたのですが、こういう“騒ぐ追悼会”を「敬死」と呼びました。

清朝政府は「敬死は死者への冒涜にほかならず、浪費だから止めなさい」と何度も通達を出しましたが、敬死を止めることは出来ませんでした。清朝時代の為政者はツングース系の遊牧民族だった女真族で、中国人口の大部分を占める農耕民族の漢民族とはもともとの文化や風習が異なります。もちろん死や埋葬に対する考え方も違うでしょう。清朝時代の漢民族には「葬式ではハデに騒ぐほど、そしてカネをばらまくほど、死者はあの世でいい扱いを受けられるし、子孫も豊かになる」との考え方が強くありました。

驚くべきことにその「敬死」の伝統が、現代の中国の地方を中心に復活を見せています。『「死体」が語る中国文化』の著者・樋泉克夫氏は広州から香港に向かう高速道路で、超高級車を暴走させつつ、窓から遺族が大量の紙銭をばらまく葬列を目撃したことがあるのだとか。一歩間違えれば、他のドライバーの視界を紙銭が邪魔して大事故にもなりかねない状況でしたが、パトカーなどは一切出動しなかったそうですね。お葬式なら許されてしまう空気が中国にはあるようです。
しかし、性道徳に関しては話が別。2015年2月、河北省と江蘇省のそれぞれで、“葬儀ストリップ”が幼子を含む遺族の間で行われたことを当局は憂慮し、摘発まで行いました。

歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹

葬儀でストリップ…

近年の中国で突如発生した現象というより、中国の一部や台湾では、葬儀にたくさんの人を集めることが故人への一番の供養になるという考え方が伝統的にあり、それに根ざした行為だと考えられる(出典:『世界の葬送』)。
現在でも台湾では80歳を超える長寿で亡くなった方の葬儀は、悲しみの儀式というよりお祝いの会のように演出されることがある。富裕層の葬儀ではプロが呼ばれ、歌や踊りが披露されることも昔はよくあったそうだ。ストリップもそういう発想がさらに飛躍して開催されたのかもしれない。

4月23日、中国文化部は「葬儀において社会道徳を乱す儀式を許可しない」とアナウンスしています。

国が違えば、ここまで「お葬式とはこういうもの」という感覚さえ違うのには驚くほかありません。中国のお葬式事情について知れば知るほど「近くて遠い国」という言葉を久しぶりに思い出してしまった筆者でした。

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