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コラム 堀江宏樹の葬儀文化史 presented by 雅倶楽部 2017年9月22日掲載

葬儀のプロが生まれた理由は、高度な焼却技術が必要とされた「火葬」にアリ?!

いまでは、エンバーマーや納棺師といった専門職に分かれている葬儀。葬儀のプロと呼ばれるものは一体いつから始まったのか?葬儀の担い手が、貴族から僧に移り、葬儀のビジネス化の萌芽までを追います。

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現代ではさまざまな葬儀のスタイルが生まれてきていますが、一昔前までは家族が亡くなると連絡せねばならないのは地元のお寺であるという地域も多かったと思われます。

これは葬儀のプロというべき人々のはじまりが、寺院関係者だったという歴史あってのことなのかもしれません。


火葬が「葬儀のプロ」を産んだ?!担い手は貴族から僧(三昧聖)へ

火葬が「葬儀のプロ」を産んだ?!担い手は貴族から僧(三昧聖)へ

平安時代末期までは、天皇の遺体を納棺したり、火葬にする場合も臣下の貴族たちがせっせと働くという光景が見られました。

荼毘に付す、つまりこれから火葬にするという時に、薪に点火するのも高位の貴族の仕事でした。

ちなみに平安時代中期以前は、故人を納棺させるようなことも天皇家ですら家族や近しい臣下の手で行われていましたが、そうしたことは減っていき、それも僧たちの仕事になっていったとのことです。

納棺以上に遺体を土葬するとか、自然の中に放置する「だけ」の風葬にくらべ、遺体を灰になるまで火で焼く火葬には高い技術が必要とされるものです。

いくらお役目とはいえ、ふだんは朝廷で政治をしている貴族にそんな高度な技術があるわけもなく、実質的には寺院関係者の手助けがあったと推察されるのです。

とくに、高貴な人の遺体を火葬にする場合、遺体がキレイに灰にならなかった……などと、式の失敗は許されないものでしたからね。

このように平安時代末~鎌倉時代初期になると寺院に所属する僧のうち、斎戒衆とよばれる人々があらわれ、高貴な人々の火葬を最初から担当することが増えていったようです。

つまり葬儀のプロの誕生といってよいでしょう。

火葬集団「二十五三昧(にじゅうござんまい)」の誕生と葬儀がビジネス化するまで

火葬集団「二十五三昧(にじゅうござんまい)」の誕生と葬儀がビジネス化するまで

風葬されるしかなかった遺体が、あちこちに放置されている現実を憂えた、比叡山横川の源信僧都が、自力で風葬以外の葬儀をおこなえない庶民を助け、火葬にしていく団体「二十五三昧(にじゅうござんまい)」というグループを結成したのが11世紀末の頃。

その思想と伝統は地域を超えて受け継がれていきましたが、同時にそれはビジネス化していきます。

ここから葬儀を助けてくれる僧籍の人。もしくは僧の姿をしている人を「三昧」「三昧聖」と呼ぶようになったと考えられます。

現代日本で「三昧」というと、「●●し放題」的な意味しか残っていませんが、古くは「死」に密接なかかわりを持つ言葉だったのですね。


三昧聖が日本各地に登場していく理由には、もともとは伝統ある寺院が何らかの理由で衰退し、そこに所属していた斎戒衆の技術を受け継ぐ人々が火葬のテクニックを「売って」生き延びるというような構図もあったようです。

たとえば(現在の大阪府)泉佐野にあった檀原蜜寺という寺院が衰退し、三昧聖たちの所属する安楽寺という組織に変わったという話もありますね。

「三昧聖」たちが、宗教組織から独立した「葬儀のプロ」として認知されるようになったのは、だいたい14世紀末から15世紀初頭にかけてのこと。

まだまだ研究がなされていない分野ですが、誰かの遺体を火葬にするだけでなく、自然の中に放置された遺体を火葬にしていくという世直しのような活動もしていたそうです。

火葬の技術提供への金銭対価は卑しい?ルイス・フロイスの見た日本

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ちなみにフロイスが『日本史』の中で「日本には、このような貧しい兵士や見捨てられた人々が亡くなると、聖と称せられるある(種の)人たちが彼らを運んで行って火葬にする習慣がある。聖たちは非常に卑しい階層の者とみなされ、通常寄る辺ない人たちである」といっています。

フロイスが日本に滞在していた時期は、戦国時代まっただなかですから、あちらこちらに転がっている遺体をきちんと片付けてくれている人が必要だったのでしょうね。

おそらく土地の領主たちから少なからぬお金をもらっての活動も多かったのではないでしょうか。

だからこそ、逆にそれを金儲けにしている三昧聖が「卑しい」といわれてしまった理由も推察されます。

三昧聖の登場をもって、日本史における葬儀のプロの誕生だと見てよいのではないでしょうか。

くりかえしますが、三昧聖というビジネスが成立しはじめ、火葬が日本で庶民の間でも一般的なお見送りになっていくのは、13世紀以降のことです。

しかし土葬が完全にすたれたというわけでもなく、当人や遺族の価値観によって土葬か火葬かが選ばれるという時代が明治くらいまで続きました。これについては今後またお話しましょう。


余談ですが、ほぼ全ての人が火葬されることが普通になった現代、東京都では死から火葬まで7日待ちという事態もあるそうです。むかしの人が聞いたら色々な意味で驚いたことでしょうね。

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