土佐藩に仕える武士としては最下級の身分「地下浪人(じげろうにん)」の子として生まれながらも、その類まれな商才で成り上がった財界人・岩崎弥太郎。現在につづく三菱グループの祖です。
地下浪人とはいえ、岩崎家は甲斐武田家の末裔であり、家紋も武田家の菱の家紋に由来する「三階菱」でした。
曾祖父の時代につづいた凶作や、彼が非常に酒好きだったことも悪く影響し、地下浪人にまで身分を落としてしまっていたのです。
西南戦争の純利益は現在価値で800億円!戦争特需で三菱財閥躍進
身分によるハンディを、幕末の岩崎弥太郎は多彩な才能で跳ね返します。
岩崎のすごいところは、エラい人から求められた分野で超一流になっていけたところでしょう。応用力がすごいのですね。
幕末のころから、岩崎は頭脳のキレを買われ、土佐藩の重役の後藤象二郎から重用されていました。
また、外国人武器商人のグラバーから武器の買い付けを任せられたりと、大役をこなします。
明治維新の後は、新政府の重役となった後藤象二郎から、政治家として抜擢されるのを心待ちにしていた岩崎でしたが、後藤は岩崎を政府の役人とすることを選びませんでした。
新政府の御用商人として、引きつづき働いて欲しいと後藤に頼まれた岩崎は内心、ガッカリもしたでしょうが、それを人生の転機として生かします。
岩崎の海運会社は、明治初期の不平士族の乱のひとつである「佐賀の乱」、それから「台湾出兵」などで、同業者が断る案件までも引き受け、仕事を成功させていきます。
岩崎が巨万の富を得るきっかけとなったのは、1877(明治10)年の西南戦争です。鹿児島で西郷隆盛がおこした、最後で最大の不平士族の乱ですね。
岩崎は、この乱鎮圧のための軍需品および兵の海上輸送を任され、総戦費4200万円のうち、1300万円ぶんの仕事を任されました。
純利益は700~800万円(現在の700~800億円!)にも登り、三菱財閥の礎が築かれました。
1885(明治18)年2月7日、岩崎弥太郎逝去
そんな大富豪・岩崎にも、1885(明治18)年2月7日夜、死の時が訪れます。数えで51歳で、死因は胃ガンでした。
旧大名・柳沢家から買いとった六義園の自慢の別邸で岩崎は、療養生活を送っていました。
病状は改善せぬまま、7日16時、呼吸が一時停止してしまうことがありました。しかし、カンフル注射によって息を吹き返します。
18時、母親と姉妹などを大声で呼びつけ、集まってきた家族や会社幹部たちの前で、自分の事業の相続者を長男にする旨などをハッキリとした声で岩崎は告げました。
最後の力を振り絞ったのでしょう、「腹の中が裂けそうだ、もう何も言わん」と沈黙したのち、医師団に一礼。
右手を高く掲げながら亡くなるというドラマティックでカッコいい死に様でした。
葬儀予算は現在価値で10億円!6万人以上に通夜振る舞い!
13日の岩崎の葬儀のために雇われた、葬儀人夫(=アルバイト)の人数はなんと、7万人でした。当時の富裕層の標準的なお葬式で100人程度。
多い時でも1000~1500人程度だったというので、7万人は桁外れの数字だったことがわかります。
彼が亡くなってから6日ほど葬儀までかかったのは、準備に日数が必要だったからかもしれません。
「人夫」には警視庁から「借用」した巡査数十名など、公務員も多数動員されていたことまでわかります。
また、岩崎の葬儀は明治のセレブリティに採用されがちだった、神式でした。
祭主は出雲大社宮司で、議員や東京府知事も歴任した男爵・千家尊福(せんげたかとみ)で、式には政界の大物やビジネスエリートたち3万人が集ったといいます。
中には反・三菱の先鋒だった渋沢栄一の姿すら見られ、岩崎弥太郎が「巨人」だったということが肌身に染みて分かってしまう葬式だったようです。
岩崎は生前から、公営墓地の染井村の墓地を買い占めていました。
岩崎邸から染井墓所にまで壮麗な葬列が続いたのちも、葬儀はおわりません。
染井墓所では「埋葬式」が行われ、それに参加した人に食事や菓子の大盤振る舞いがありました(埋葬用の土地だけでなく、墓を建設するための資材置き場として2000坪が買い増しされ、これは後に三菱社員専用墓となったそうです)。
当時の新聞の報道は、会社によって数字がかなり異なるのですが、『東京日日新聞』によると、会葬者に用意された食事は西洋料理・日本料理の立食式で六万人分、『東京横浜新聞』によると日本料理は三万人分のお弁当、外国人の会葬者用には上野の精養軒に300人前の洋食が注文されました。
さらにお菓子が六万人分、用意されたとのことです。
この菓子は会葬者だけでなく、集まってきた貧しい人々にも配られたようですね。
もともと岩崎家は、自邸周辺の貧しい人々に大金をとつぜん与えることがあり、葬儀の前から上野の岩崎邸の前にはひれ伏して施しを待つ人々の姿まであったとか……。
そんな岩崎弥太郎のお葬式の予算は総額1万円。
現在の貨幣価値でなんと10億円程度が見込まれていたようですね。
さすがは岩崎、一流の財界人として自分のお葬式一つで「経済」を動かしてしまったようですね。