National Media Museum from UK, No restrictions, ウィキメディア・コモンズ経由で
前回までは20世紀前半の世界を騒がせたイギリス国王退位事件、つまり「王冠を賭けた恋」にまつわるウラ事情をお話してきました。
エドワードにとっては幸いなことに、当初、幸福だったとはいえない二人の結婚もマスコミ人気に支えられ、次第に落ち着きを取り戻すようになっていったようです。
社交界に居場所を見出したものの…
そもそも、退位した後もエドワードはヨーロッパでも有数の資産家でした。
いくらウォレスの心が前夫に残っていたところで、今はエドワードと結婚してしまったのです。彼との結婚の“旨味”を無視するほど、ウォレスは幼稚な女ではありませんでした。
あいかわらずイギリスや英国王室には居場所がなく、無視されつづけているエドワード夫妻ことウィンザー公爵夫妻でしたが、社交界からの人気は高く、1940年代からはジェット機にのって世界中を旅して回る豪華な日々を過ごすことになります。
「ウィンザー公爵夫妻の行くところに、世界がついていった」と、当時の上流社会で印象的なパーティを催していたことで知られるエルサ・マックスウェルが記しています。もちろん、「世界」とは言っても、物好きな大金持ちたちだけの世界にすぎませんが……。
ヨーロッパ中の貴族たちは、エドワードことウィンザー公爵夫妻には冷淡で、彼らを格式高く、それこそ現役のイギリス国王並みの高い待遇で迎えてくれたのは唯一、ナチス・ドイツだけでした。
ドイツ全土を夫妻は、ヒトラー自慢の冷暖房完備、高級ホテル以上に最新設備搭載の御召列車「アメリカ号」で旅し、上機嫌でいるところを写真に撮られています。しかし、ヒトラーとの親密といってもよい交流を、後に夫妻は悔いることになりました。
エドワードが、後に政治的発言を自粛するようになった最大の理由といってもよいでしょう。
戦後の1950年代は夫婦の全盛期といってもよい時期でした。
一方、マスコミからカメラとマイクを向けられ、逆にまともなことを発言したくてもできないジレンマにエドワードは苦しむようになります。
「ミニスカートはミニすぎる」、しかし「長いスカートにはゾッとする」などの“迷言”だけが、マスコミに面白おかしくスクープされてしまった当時の彼の心中が察せられるようです。
他方、エドワードの正妻の座についたウォレスは、水を得た魚のようになりました。
各地にある豪邸を夫ごのみの贅沢なスタイルで飾り立て、パーティを主催し、夫を喜ばせました。また、シンプルな装いに、豪華な宝石を身につけるという自分流のスタイルを確立、おしゃれセレブの筆頭として知られるようになりました。
末期ガンが絶縁状態のイギリス王室との橋渡しに?!
Photographer: Abbie Rowe (1905–1967), U.S. National Park Service, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
しかし、1971年、ヘビースモーカーだったエドワードですが、自分の声がいつもよりシワがれていることに気づきます。
医者を受診したところ、末期の咽頭がんを発症していることが明らかになります。苦痛だけ多く、効果のないコバルト線治療を受けつづけることをエドワードは拒否します。そして「自分のベッドの上で死にたい」と、死を受け入れる選択をしたのでした。
1972年5月18日、かねてより絶縁状態だったイギリス王室から、彼の姪にあたるエリザベス2世が、フランスに暮らす瀕死のエドワードを訪問することになりました。
しかしその時、もはやエドワードは会話できない状態でした。30分ほどの間、エリザベスだけが話しているのを、エドワードはほほえみながら聞いているだけでしたが、それでも二人の様子から“和解”という言葉を周囲が感じ取ることができたようですね。
そのわずか9日後、エドワードは77歳で亡くなります。王室引退から35年、死を覚悟した彼はもはや何もいわず、あるいは何もいえず、ただウォレスの腕に抱かれたまま、息を引き取りました。
そして、エドワードは遺体になってはじめて、イギリスにまともな形で帰国することが許されたのです(これまで家族の葬儀などで暫定的に帰国することは出来てはいましたが)。
王室のメンバーとして荘厳な葬儀が行われ、葬列には57000人もの市民が集まり、ウィンザー城近くのフログモア霊廟に彼の遺体は埋葬されました。
ウォレスは夫の死後も生き続け、1986年、89歳で亡くなりました。生前、エドワードが彼女に贈り続けた豪華なジュエリーの数々は「ウィンザー・コレクション」として競売に賭けられ、買った時の値よりも高くなって、世界中の夫妻ファンの手に渡っていきました。そのお金はウォレスの遺言通り、パスツール研究所に寄付され、エイズの研究に使われたといいます。
現在94歳のエリザベス2世ですが、長い女王としての人生の中で、叔父エドワードに引き続き、今度は孫のヘンリーという王室引退者の問題に振り回されることになるとは感慨深いものがあるでしょうね。