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コラム エピローグ <偉人たちの最期> presented by 雅倶楽部 2019年10月21日掲載

「毛利元就」の三本の矢…実は、死ぬ14年前に書かれた手紙の一節だった?! <武将最期の言葉「桜の花」篇>

毛利元就最後の言葉といえば三本の矢を使ったたとえ『三子教訓状』が有名ですが、実際には死ぬ14年前に書かれた手紙の一節だとか…本稿では、虚実入り交じった逸話とともに、【桜の花】を辞世の句とした「毛利元就」と「蒲生氏郷」の2人の武将の最期をご紹介いたします。

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毛利元就 『友を得て なおぞ嬉しき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は』

毛利元就の辞世の歌がこちらです。

「友達との花見は嬉しいものだなぁ。一人で見ていた昨日より、今日の色、香りは最高ではないか」……とでも訳せるでしょうか。

しかし、毛利元就が亡くなったのは元亀2(1571)年6月。陰暦でいえば真夏です。

毛利元就最後の言葉といえば、長男~三男までを集め「一本ではたやすく折れても、三本たばねれば、矢は簡単に折れないだろう」という「三本の矢のおしえ」、もしくは「三子教訓状」とよばれるエピソードから紹介すべきではと思う方もおられるでしょう。

しかしこのとき、三人の兄弟のうち、長男・(毛利)隆元は父より先立つこと8年早く、すでに亡くなっていました。

次男・(吉川)元春は戦の真っ最中で、父の死に目には会えず。父の死を実際に看取ることができた息子は(小早川)隆景だけでした

歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹

3人の息子たちの姓…毛利元就は敵対関係にあった他家に息子たちを養子にして送り込み、彼らにその家をのっとらせるというすごい作戦を使いました。

だから毛利隆元以外の息子たちの姓(名字)が毛利とは異なるのです。

……さらにこのエピソードは、元就が亡くなる14年も前に書いた手紙の一節がもとになって出来ており、遺訓とはとても言えないのでした。

冒頭で紹介した桜の歌についても、なんでも早くから準備する癖が毛利元就にはありすぎて、辞世も早くに作りすぎ、そのままになってしまったがゆえかもしれませんがね。

享年61歳、晩年は「腹が詰まる」症状に苦しんでおり、死因には胃がん説などがあります。

蒲生氏郷

紙本著色蒲生氏郷像

蒲生氏郷 「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山風」

文武両道の知将・蒲生氏郷。賢いだけでなく、気配りや、やさしさでも満点で、周囲から好かれる人物でした。

貧しいころは恩賞を十分に出してやることができず、役に立ってくれた家臣をねぎらうため、自分はカマドの薪の火の調節をしながら準備した風呂にいれてたあげたという「蒲生風呂」のエピソードなどが知られています。

意表をつく「おもてなし」はインパクトが強く、もてなされた人の心に長く残りますからね。さすがは知将……。

この手の温かいエピソードが非常に多いのが、蒲生氏郷の特徴です(もしかしたら、戦国ナンバーワンの愛され武将かも)。

小田原城(但し江戸時代期の城を元にした復元)

のちには豊臣秀吉の「小田原攻め」での軍功を評価され、陸奥国・会津42万石を受領する大大名となりました。

そんな蒲生氏郷が体調不良の末に亡くなったのが文禄四(1595)年2月7日のこと。

辞世は次の歌でした。

「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山風」

花の生命には最初から限りがある。だから山風など吹かなくても勝手に散るのに、短期な春の山風は花を散らすように吹き渡るのが惜しい……といい、風に散らされる桜の花に、享年40歳という短命でこの世を去らねばならない自分の悲しみを重ねているわけです。

毛利元就が半年ほどフライングした辞世を作ったのに対し、さすが蒲生氏郷、タイミングをあわせてきていますね。

陰暦2月は現代でいう3月末ごろ、関東でも桜がそろそろ開くかなぁー、という季節ですから、時期的にはピッタリでした。

死因は胃がんとも腎臓病ともいわれています。

かつて美男だったのが嘘のように痩せおとろえ、顔面の肌色は「黄黒く」むくみ、それは辛そうな状態だったそうですから……。

彼が利休の弟子・瀬田正忠の茶会から帰宅した後、吐血したこともあったので、

「蒲生氏郷という名将に謀反を起こされることを秀吉が恐れた。
石田三成は秀吉の意をくんで、利休に命じ、利休は自分の弟子の茶に毒を入れさせ、蒲生氏郷に飲ませた」

とかいう(実にまわりくどい)暗殺説が、蒲生家家臣たちの間では長い間、語られていたこともありました。

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