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コラム エピローグ <偉人たちの最期> presented by 雅倶楽部 2019年6月11日掲載

ガリレオの嘘…「それでも地球は回っている」は後世の創作?!

『地球はそれでも回っている』の名言で有名なガリレオ。
実は、「宗教と闘う科学の英雄」にするために後世創作された言葉だとか。
本稿では、史実とは異なる、本当のガリレオの生涯をお伝えしたいと思います。

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17世紀イタリアの科学者、ガリレオ・ガリレイが宗教裁判で有罪になった時、彼はすでに69歳になっていました。

著作『天文対話』の中で「地動説」を広めようとした「疑い」でローマで宗教裁判にかけられていたのです。1633年6月22日のことでした。

本来は終身刑でしたが、高齢で健康状態が悪かったこと、そして宗教裁判の最終段階において「私は間違っていました」と自説を撤回したことなどから、教会の慈悲を受け、フィレンツェの自宅謹慎に減刑されています。

異端審問官を甘く見たガリレオ

ガリレオは実は生涯で二度も宗教裁判を経験しています。そして二度とも「地動説」が原因でした。

一回目の1616年の審議では、「地動説を、ガリレオは自分の著作の中で“仮説”として紹介しただけ」という理由で無罪放免されているのですね。

カトリック教会は仮説なら、許してくれるのでした。

ところが、二回目の1633年の宗教裁判の席上でも、一回目でそうやって難を逃れたように、ガリレオは「あれはしょせんは仮説です」などといって「罪」から逃れようとしました。

しかし今度の審問官たちはそれを許しませんでした。

当時の教会は「仮説」としてなら異端的な考えを発表したところで、見すごしてくれることがありました。

ガリレオが著作の中で、地動説が真実だとほのめかす一方、まるで科学的証明を行わなかったのも、仮説としてみなしてもらえるように……という「下心」があったからかもしれません。

歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹

それなのにガリレオが「近代科学の父」はともかく、「実証科学の父」といわれているのはなかなか釈然とはしませんが……

宗教裁判と聞いて、みなさんは現代風の法廷を思い浮かべるかもしれません。

『Galileo before the Holy Office』ジョゼフ=ニコラ・ローベル=フルーリー (1797–1890)

しかし、当時の宗教裁判では被告はたった一人で、複数いる審問官たちからの厳しい質問を矢のように浴び、その全てに望ましい回答をたった一人でせねばなりません。

現代の法廷のように弁護士などはいません。

もし審問官に「異端者」だと評価されてしまえば、拷問や処刑されてしまうのですから恐怖そのものなのですね。

最終的にガリレオは萎縮・狼狽してしまい、「それでも地球は回っている」などという名言をつぶやいたどころか、「本を書いたときはともかく、今では地動説なんか私は信じていません」と言いなさい(そうすれば生命は助けてあげる)という審問官からの助け舟を出してもらって、ようやく生き延びられた……という様子でした。

ガリレオが異端の罪に宗教裁判で問われたのは、彼の著作『天文対話』で、教皇から削除を指示された地動説を真実だとほのめかす箇所を「訂正」せずに、そのまま出版してしまった大胆な態度がありました。

「それでも地球は回っている」は後世の創作?!

真実のために闘ったとも見える態度は、後世に熱心なガリレオ・ファンを生み、18世紀のイタリアで書かれた、ジュゼッペ・バレッティという人物による科学読み物の本の中では「地球はそれでも回っている」という名言を吐いたことにもされました。

これが例の名言の初出といわれています。

実際のところは目も見えにくい、吐き気はする、立っているのもしんどいというような体調不良であるがゆえに、訂正するのを忘れた「だけ」かもしれないという気も筆者にはするのですが。

このように後世のファンから「宗教と闘う科学の英雄」として祭り上げられていったガリレオですが、ガリレオにも落ち度はありました。

「実証科学の父」とも呼ばれているわりに、『天文対話』はもちろん、地動説が真実である科学的な証明をすることを怠ってしまっていたのです(実証科学の父といわれるガリレオですが、この地動説だけでなく、その他の自説も唱えっぱなしで、実証実験を行わないことが多々ありました)。

ワイン好きの宿命…「鉛中毒」

教皇庁から自宅謹慎に置かれ、歩けないほどに衰弱してなお、弟子に椅子ごと運んでもらって研究を続けていたガリレオですが、宗教裁判から八年あまり後ついに倒れ、1642年に77歳で亡くなりました。

死因は鉛中毒による腎不全でした。

歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹

ガリレオはワインをよく飲んだと伝えられます。

この連載でも何回か取り上げた事項(参照『ワインの隠し味が死因?!楽聖「ベートーヴェン」の死とファンとの闘い』)ですが、当時のワインには人体に有毒な鉛が「調味料」として加えられていました。

ガリレオもひどい鉛中毒だったことがわかっています。

『天文対話』を書いたときには、すでに正常な精神状態・理性状態ではなかったのかもしれませんね。

存命中からガリレオには(宗教裁判にかけられたものの)立派な科学者(だった)という世間的な評価がありました。

フィレンツェのサンタ・クローチェ教会では名声のわりには地味なガリレオの葬式が世間に隠れるようにして営まれましたが、遺体は小さな部屋にせよ、同教会内に葬ってもらえました。

教会内部に墓所を作ってもらえるのは名士だけですから、それでも幸福でした。

「やっぱりガリレオが正しかったみたい」…カトリック教会による手のひら返し

ところが彼の死から科学は進歩し、ついにガリレオのほうが正しかった……つまり地動説こそ真実であるということがわかってきました。

するとガリレオはサンタ・クローチェ教会内のより大きな大理石の墓石の下に、改葬されることになりました。

歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹

余談ですがカトリック教会が、ガリレオを有罪にしたのは間違いだったと認めたのはなんと1992年のことです

しかしこの時、アントン・フランチェスコ・ゴーリなる男はガリレオの「大ファン」で、はじめて目にしたガリレオの骨に興奮を隠せず、脊椎骨1つ、歯1本、右手の指の骨3本を盗んで持ち帰ってしまったのです。

ちなみに右手の指の骨3本は、望遠鏡を握る時に使う骨を選んだ結果のようです。

現在、ガリレオの中指はフィレンツェのガリレオ博物館で公開され、脊椎骨はパドヴァ大学に所蔵されています。

中指は骨というよりミイラ化しており、なぜか金メッキ(?)の土台に埋め込まれて不気味なことになっています。

そして指二本と歯一本はかつては「ある侯爵」が所有していたものの、行方不明になっていました。

2009年、来歴不明の骨としてオークションにかけられ、それがどういう経緯かガリレオの遺体の一部だと判明し、2010年のフィレンツェ科学史博物館の新装オープン時の目玉として公開された模様です。

死んでも難儀しているガリレオ、なんだか気の毒ですね。

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