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コラム エピローグ <偉人たちの最期> presented by 雅倶楽部 2019年1月28日掲載

『ブルータスお前もか!』なんて言ってない?!古代ローマの英雄「カエサル(シーザー)」の最期

「刃物を使って1人につき1回だけ刺せます」…まるでバトルロワイアルの一場面。実は、ローマ議会で決議されたユリウス・カエサル(シーザー)処刑のためのルールだったりします。
『ブルータスお前もか!』という名言で有名なカエサルについて、その末路を追います。

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表紙画像 : Andrew Bossi [CC BY-SA 2.5 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)], ウィキメディア・コモンズより

古代ローマの英雄・カエサルが暗殺されたのは紀元前44年3月15日のこと。

イエス・キリストが生まれる44年も前の事実が、21世紀の日本でもわかるということはある意味、驚きといわざるをえません。

同じように、カエサルの死の真相は現代人にとっても驚愕をもたらすものでした。

「終生独裁官」宣言で暗雲

ユリウス・カエサルは当時56歳、まだまだ「男盛り」でした。

長い間、若くして結婚した正妻との間に娘が一人いるだけでしたが、52歳になって遠征したエジプトで当地の女王クレオパトラ7世との間にカエサリオンという男の子が生まれています(カエサリオンとは、「小カエサル」の意味)。

ただし、この二人は正式に結婚していたわけではなく、カエサル自身もこの男の子を自分の後継者には選びませんでした。

さて、カエサルの身が危うくなりはじめたのは、彼が殺される約1ヶ月前のこと。

紀元前44年2月、「私はローマの終生独裁官となる」という宣言をしてからでした。

「王」という称号自体は本人も拒絶していたものの、実質的なローマの王様になっていた、といえるでしょう。

ローマはカエサルが生きていた当時、共和制の末期を迎えていました。

政治は元老院で、元老議員たちの議論によって決定するというタテマエであいかわらず動いていましたが、議会は形骸化し、議員の大半は金持ちであるだけで、政治的には無力でした。

優秀な人間が国王となり、トップダウンで重要な物事を決めることができるとするなら、政治はスピーディに動いたはずです。

一方、ローマ人の間には古くからの共和制こそがベストで、王政などはダメという考えは根強くありました。

カエサルは前46年に「独裁官」、前44年には「終身独裁官」となっていますが、これは名称こそ国王ではないだけで、実質的には国王そのものといってもよい強大な権力が集中する役職でした。

カエサルというカリスマを政治的に必要とし、彼に権力を与えていったのはローマ人です。

しかしカエサルが国王に等しい存在になってしまうと、「カエサルにローマは支配されてしまう。それは怖い」「カエサルばかり出世するのはズルい」といった恐れや嫉妬が生まれます。

特に、ローマの上流階級出身の一部の元老院議員たちに、カエサルを忌避する空気が生まれ、強まりました。そういう都合のよい考えに、カエサルは暗殺されることになったのです。

胸に刺された傷が致命傷に

The Death of Caesar / Jean-Léon Gérôme (1824–1904)

カエサルが暗殺された3月15日については、実は「不吉なことが起こる」と、カエサルの側近の占い師の予言がありました。

また妻もカエサルが殺される夢を見たといって、夫の外出をやめさせようとしたともいいます。

天候も春の嵐がローマを吹き荒れ、見るからに不穏でしたが、それでもカエサルはそれら「迷信」にかまうことなく、元老院に向います。

しかし、その場で一説に60名もの議員たちに取り囲まれ、死を覚悟したようです。

いくら英雄でも、頭の片隅で「妻の言うことを聞いておけばよかった……」と思ったはず。

彼らは刃物を握りしめており、一人につき一回だけカエサルを刺せるというルールにしたがって凶行に及びました。

遺体には顔や両足、背中だけでなく鼠径部にも及ぶ、全身23箇所の傷ができていました。

しかし検死の結果、致命傷はわずか一箇所、胸の傷だけでした。言い方を変えれば、胸さえ刺されなければ、カエサルは生き残れたかもしれないということです。

また、歴史の中でもっとも古い記録に残る、検死解剖された人物はカエサルということになっています。

「ブルータスお前もか!」は誰が聞いた?

ブルトゥス像 / ローマ国立博物館

暗殺者の中に、カエサルが大事にしてきた……というか、長年の愛人女性の息子で、実際の息子のようにかわいがり、世話まで焼いていたブルータスの姿を見つけたて絶望し、「ブルータスお前もか!」と叫んだという逸話があります。

しかし、実際は無言でカエサルは倒れたようです。

たしかに当時から「息子(=ブルータス)よ、お前も私と同じ末路をたどるだろう」と呪いめいた言葉を発したともされてきました。

ところが、カエサルが刺され始めると元老議員たちはそれを止めようともせず、命からがら議会の建物から逃げ出しはじめ、さらにはカエサルを刺した男たちまでもが「カエサルは死んだ!」などと叫びながら現場から逃走していきましたからね。

このため、誰が「実際にブルータスお前もか」というカエサル最後の「名言」を聞いて、それをどういう経緯で記録したかは、考えたところでも疑わしいのです。

それよりも興味深く思えるのは、カエサルは倒れる時、傷だらけになるであろう自分の遺骸を人目にさらさないよう、トーガと呼ばれる長いマントを自分の身体に巻きつけるように倒れていったという事実です。

生粋の伊達男だったのでしょうね。

カエサルの遺灰はいずこへ?

さて、カエサルを倒した暗殺者たちは、自分たちを英雄だと思いこんでいましたが、市民たちは家の中に閉じこもり、彼らの行いを讃えに出てくることはありませんでした。

また、カエサルの遺体は犯行現場に長時間、放ったらかしになっていましたが、凶事を知ったカエサル家の三人の召使いが引き取りにきたそうです。

翌日、カエサルの遺言が公開され、後継者が若き実力者のオクタヴィアヌス(カエサルの血縁者ではない他人)と決定しました。

カエサルの遺体は火葬にされています。なお、火葬は当時のローマの一般的な葬儀です。

高々と薪が火葬台に積まれ、燃え盛る炎がカエサルの肉体を灰に変えてしまったのでした。

あのカエサルが、ただの灰になってしまったのを見たローマ市民たちは悲しみより怒りがこみ上げ、カエサルを燃やしつくした炎を松明にともし、行列をなして暗殺者たちの屋敷を襲うという暴動を起こすのです。

暗殺者たちは命からがらローマから逃げ出していきました。

こうした諍いのさなか、ローマには大雨が降り始め、カエサルの遺灰はみな流れていってしまいました。

こうした経緯もあって、カエサルの墓というものは存在していないのです。

なお、彼の後継者で、ローマの初代皇帝に就任するオクタヴィアヌス(後の名をアウグストゥス)の判断で、カエサルはローマの神々に加えられることになりました。

カエサルは文筆家でもありましたが、自伝をふくむ彼の作品の大半が、「神の著作にはふさわしくない(はれんちな)内容」との理由で、女嫌いで生真面目なオクタヴィアヌスに廃棄されてしまったのは、とても残念なことです……。

歴史エッセイスト・作家 堀江 宏樹

ちなみに「帝王切開」という用語の語源は、カエサルの誕生時のエピソードにちなむとされていますが、誤りです。
「セクティオ・カエサリア(sectio caesarea)」、「切る方式」という意味のラテン語を、「カエサルの方式」だと誤訳してしまった結果。
当時の史料から見て、カエサルが帝王切開で生まれたという根拠はゼロです。ちなみに日本だけでなく、欧米圏でもこの誤解は現役です。

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