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コラム エピローグ <偉人たちの最期> presented by 雅倶楽部 2019年7月29日掲載

『王と踊った脚は切れない!』ルイ14世にすべてを捧げた音楽家「リュリ」の悲恋 <芸術家たちの最期>

20世紀フランスを代表する女流作家「マリー・ローランサン」、ブルボン王朝時代ルイ14世付きの音楽家「ジャン・バティスト・リュリ」…
芸術家として大成した一方で、その最期には謎めいた言葉を残して亡くなっています。本稿では、そんな彼らの最期の言葉をもとにオムニバス形式で2人の偉人をご紹介したいと思います。

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マリー・ローランサン

マリー・ローランサン
(画家、1883年 - 1956年、享年73歳)
死因
心臓発作
最期の言葉「私が死んだら会いに来ないで」

ばら色と灰色を中心とした、パステルカラーの淡い色彩を好み、はかなげな美少女たちの姿を描き続けたマリー・ローランサン。

20世紀フランスを代表する女流画家のひとりです。

彼女が22歳のころ出会い運命の恋におちた、詩人のポール・アポリネールが亡くなった時、彼女は『鎮痛剤』と題するポエムを書いてます。

「もっと哀れなのは 忘れられた女です」という最後の行が印象的ですが、ローランサン自身は1956年、「私が死んだら、会いに来ないで」との謎めいた言葉を残して亡くなりました。

「私が死んだら」と「会いに来ないで」の間に、「死後の世界に」という言葉を補う場合もあります。

しかし筆者が思うに、かつて自分が愛し、愛された人たちにむかい「老いて、死んだ私の顔を見に来ないで」という意味ではないか・・・・・・と思われるのです。

マリー・ローランサンは非常に恋愛体質な女性でした。アポリネールと決別した後は、上流階級御用達の画家として社交界にデビューします。

そこで知り合ったドイツ人の男爵と結婚しますが、あえなく離婚。

「私は、男性とはうまくやっていけないようだ」という事実に気づいたのちは、大羽根持ちの未亡人らと懇意になり、レズビアンとして生き抜きました。

老いてなお、少女のような気まぐれさのある魅力的な女性だったそうです。

ジャン=バティスト・リュリ

ジャン=バティスト・リュリ
(音楽家・ダンサー、1632年 - 1687年、享年55歳)
死因
敗血症
最期の言葉「王と踊った足は切れない!」

フランスのブルボン王朝がもっとも華やかだったのは、「太陽王」ことルイ14世の御代でした。

若い頃はルイ14世自身がダンサーとして、宮殿の舞台に立つというようなこともありました。

ルイ14世が好んで起用したのが、イタリア人音楽家のジャン・バティスト・リュリです。

リュリ自身がダンサーでもあり、合唱や大規模なオーケストラを用いたゴージャスなオペラ、舞曲の名作曲家でもありました。

ところが・・・・・・リュリとルイ14世の仲はだんだんと気まずいものになっていきます。

リュリは熱烈にルイ14世を崇め奉っていましたが、その感情の中には「愛」が含まれていました。

そう、妻子はいたものの、彼はゲイだったのですね。

フランス王は、カトリックの守護者であり、(少なくとも当時の)カトリックは同性愛に対して寛容ではなかったこともあり、ルイ14世はリュリを遠ざけます。

そんなリュリが亡くなったのは1687年のこと。

致命傷となったのは、ルイ14世の病気平癒を願って作った宗教曲『テ・デウム』の演奏中に起きたケガでした。

演奏会場に王はやってきませんでした。

それどころか、別会場で娯楽に興じていたともいいます。

しかし健気なリュリは、不在の国王の幸せを祈って指揮を行いました。

当時の指揮者がよく行ったように、大きな重たい杖で床をドシンドシンと叩きつけてリズムを取っていたところ、誤って自分の足の甲を杖で潰してしまったのです。

キズは重く、敗血症を併発したリュリに医師は「生きるためには脚を切らねばならない」と告げます。

しかしリュリは「王と踊った脚は切れない」と啖呵を切って、そのまま亡くなってしまうのです。

さすがにルイ14世も、彼の死にはショックを隠せなかったようですよ。

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