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コラム エピローグ <偉人たちの最期> presented by 雅倶楽部 2019年9月9日掲載

尿意を我慢しすぎて死亡。天才科学者の死因は【膀胱破裂】 <天才たちのそれホント?な最期>

「アルキメデス」「ケインズ」「ティコ・ブラーエ」…かつて天才の名をほしいままにした偉人たちはどのような最期を迎えたのか?カタブツと想像しがちなケインズが実は貴族出身・大金持ちの”やさおとこ”だったり…等々、彼らの業績と時代背景をもとにご紹介いたします。

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アルキメデス

アルキメデス
(古代ギリシャの数学者、前287年 - 前212年、享年75歳)
死因
他殺
最期の言葉「図を踏むな」

アルキメデスは古代ギリシャを代表する数学者です。

一番有名なのは、その名も「アルキメデスの原理」といわれる原理ですね。

お風呂に浸かっているとき、自分の体の体積分の水が浴槽から流れ出て、自分の体が軽く感じられたことをきっかけに、王様から頼まれていた王冠が本当に純金かどうかを調べる方法を思いついたという逸話とともに有名です。

亡くなるときも、彼が住んでいたシラクサという都市国家が、ローマとの戦争で陥落したときでした。

賢い人にありがちですが、なにかに熱中すると周囲のことなど忘れてしまう性質だったらしいですね。

床に書いた図形をつかって数学の問題を解いていたアルキメデスのところに、そこに敵国・ローマの兵士が踏み込んで来たのです。

シラクサは当時、すでにローマによって陥落させられていました。
つまりローマの兵士は勝者なのですね。

普通なら「君は誰だ」と問いかけるでしょうが、アルキメデスは「(せっかく書いた)図を踏むな」と一喝して、殺されてしまったといいます。

しかし、これは歴史家の間では俗説だそうで、ローマ兵に道を聞かれたのに無視して、問題を解き続けたことに腹を立てられ、殺されてしまったともいいます(プルタルコス説)。

しかし、アルキメデスは紀元前3世紀の人で、まともな伝記は残されておらず、実際のところはわかりません。

ただ、賢い人って「こういう感じ」なのは古代ギリシャから変わらないということだけは、よくわかる逸話です・・・・・・。

ケインズ

ケインズ
(イギリスの経済学者・貴族、1883年 - 1946年、享年63歳)
死因

最期の言葉「もっとシャンパンを飲んでおけばよかった」

20世紀前半までの世界経済の指針のひとつが、ケインズ経済学でした。

19世紀以降、経済は放任しておくのが一番だと考えられてきたのですが、不況がつづくと大変です。

経済学とは「道徳科学」であるべきと主張するケインズは、不況を脱する手段を考えました。

そして1929年以降、失速していたアメリカ経済を立て直しました。

ケインズ主義について、ものすごく単純に解説すると、

1・低金利政策
2・公共事業
3・消費の拡大 

・・・・・・現代日本でも似たようなことをしようとして、うまくいっていませんが、少なくとも第二次世界大戦前のアメリカ経済はケインズの考えたメソッドでV字回復を遂げたのでした。

さて天才経済学者といえば、カタブツの学者先生を想像してしまいがちですが、ケインズにかぎっていうと、身長198センチ、英国貴族出身、大金持ちの遊び人で、バイセクシャルの色男。

経済学の研究は、午後の趣味の時間に行っていたともいわれ、ウワサの有名人でした(ちなみに午前中、彼が行っていた「本業」は、株などの投資でした)。

だからこそ、死の間際に「もっとシャンパンを飲んでおけばよかった」と言ったとしても、「ありうる」と世間から思われてしまったようですね。

実際に研究したところ、たしかに自分の人生で後悔していることとして、ケインズが「シャンパンを飲んでいればよかった」と言ったのは事実のようです。

しかし、それは彼が生涯、関係を持ち続けたケンブリッジ大学のキングス・カレッジで行われた宴席での発言でした。

時期は、はっきりしません。

さすがに遊び人とはいえ、死の床で「シャンパン~」と言ったのではないようですが、考えてはいたかもしれません。

ティコ・ブラーエ

ティコ・ブラーエ
(デンマークの天文学者、1546年 - 1601年、享年55歳)
死因
膀胱破裂
最期の言葉「私の生涯を無駄だと思わせないでくれ」

16世紀のデンマーク出身の天才的天文学者ティコ・ブラーエは、すくなくとも欧米では有名です。

「おしっこを我慢しすぎて、膀胱破裂で死んだ天才科学者」として、何百年にもわたってウワサの的なのですから。

ブラーエに異変が起きたのは、変人皇帝として知られたハプスブルク家のルドルフ2世主催の晩餐会に参加した直後のこと。

晩餐会の途中でトイレにいけなかった礼儀正しいブラーエですが、帰宅した後も一滴も尿は出ません。

そしてそのまま、膀胱が破裂して死んでしまうのでした。

最後の言葉は「私の生涯を無駄だと思わせないでくれ」。

師匠の遺志をついだ弟子によって、発見されたのが惑星の運動に関する「ケプラーの法則」でした。

おしっこさえ我慢しなければ、「ブラーエの法則」となっていたかもしれません。

当時の医師の見立てによると「我慢している間に尿路結石が、尿道をふさいでしまい、尿が出せなくなったため、膀胱破裂で死亡」・・・・・・。

しかし、あまりに奇怪な死因です。

1901年、ついに墓の中のブラーエの遺体が調査されました。

遺体の保存状況は悪くなかったのですが、尿道結石は見つからず。

かわりにブラーエの毛髪からは水銀が検出されたので、彼の弟子が研究成果を奪うために、彼を毒殺したのではないか・・・・・・という物騒な説が飛び出したのです。

そう、弟子のケプラーは、師匠ブラーエの研究を引き継いでいましたよね。

2010年にも再度、ブラーエの遺体は調査され、なぜ水銀が大量に彼の毛髪から見つかったかを精査中とのことです。

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